能登半島地震から二年が経ちました。
神戸のインストラクター鈴木貴子さんの呼びかけと、能登福祉救援ボランティアネットワークさんのご協力のもと、タッピングタッチ協会は能登への支援を重ねてきました。
2025年12月には、歳末の“おすそわけ”活動とともにタッピングタッチの温かい手を届けてきました。
震災後はじめて能登を訪れるメンバーも加わり、それぞれが「今の能登、そして人」と出会う一日となりました。
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タッピングタッチでの被災者支援~能登半島地震・被災地での活動⑥~
12月7日(日)、石川県輪島市門前町の道下(とうげ)仮設住宅で活動しました。今回も、能登福祉救援ボランティアネットワークさんにコーディネートいただき、「歳末の『おすそわけ』活動」で各戸を訪問される際、同行してお声かけし、タッピングタッチをさせていただきました。訪問したインストラクターは、横浜の村木雄一さん、静岡の白鳥志保さん、長野の渡邉冨美恵さん、奈良の松岡俊子さんと神戸の鈴木の5名。みんなで40名の方へケアできました。
=当日の様子=
朝、金沢駅で集合し、レンタカーを借りて9:00前に出発。輪島までは約2時間かかります。行きは白鳥さん、帰りは村木さんが運転してくださいました。11:00頃、現地に到着すると、地元の赤坂さんとボランティアネットワークの皆さんがすでに全国から届いた寄付物品(TTフレンドシップin福岡・山口の清水さんが送られたクッキーもありました!)を仕分け作業中。私たちも一緒に仕分けや袋詰めのお手伝いしました。ここは300戸が並ぶ大規模仮設ですが、すでに30戸ほどは退出しているとのことで270戸分作りました。270戸分のおすそ分け袋を並べたら壮観!でした。
昼食は、仮設住宅のなかにあるコミュニティセンター(コミセン門前BASE)でとりました。ここには食堂や銭湯があるんです。
そして13:30頃から5チームに分かれて各戸にお届け。私たちは一人ずつチームに入って活動しました。16:00すぎに一通り訪問を済ませ、全体で活動を集約。その後、私たちはすぐに出発し、その日のうちに金沢を離れました。
=活動されたインストラクターさん=
<村木さんより>
あっという間の1日間でした。朝、新幹線に乗り、うとうとして気が付いたら長野付近を走っていて、都会とは違う風景に、別の世界に来ているんじゃないかと感じました。 仮設住宅でのタッピングタッチ。全国からの支援の品物を各家にお配りするボランティアさんの後ろから一言、「今日は、お背中にトントンするタッピングタッチもさせてもらっています。」と声をかけ、きっぱり断られる方以外の方には、背中を貸してもらいました。
住宅には、外扉と内扉の間の90センチくらいのスペースがあり、そこに、鈴木さんが用意してくれた椅子を置き、背中を玄関方向に向けて座っていただきました。
突然やって来て、背中をトントンさせてほしいと言われ、きっと、何のことやらわからなかったと思います。そのような中、病床に伏していた兄の足に手を添えたら、とても喜んでくれた経験があるというご婦人に、家の中にまでいれていただきました。まずはご主人にタッピングをなどさせていただきました。終わり近くになったところで、突然ご主人が立ち上がってしまい、何かしてしまったかなと思っていたら、奥さんに「やってもらえ」という交替の合図でした。奥さんへもタッピングをさせていただき、玄関口で挨拶をしたのですが、住んでいた家を壊すことが決まり、いろいろなことがあったことなど話してくれました。
今回のタッピングタッチの旅は空間移動したようで、日曜日は能登にいたのに、月曜の朝にはまた横浜での毎日が始まっています。
「行かなくてはわからない」のはそのとおりです、が、行ったからって、仮設住宅の生活のことは何もわかっていないかもしれません。でも、タッピングタッチがあるから、そこに行け、そこに住む(住まざるを得なかった)人から、話を聞かせていただけたと思います。朝行って、夕方帰るそんなこともできることを分かった以上、また、行かせていただきたいです。
私たち5人で40人の背中をトントンさせてもらいました。限られた時間の中、トントンしながら、もっと、もっとコミュニティセンター門前町の方の話を聞ければ、よかったなぁと思い返しています。
記念に、「NOTO NOT ALONE 能登は、ひとりじゃない」のステッカーを購入してきました。 わずかな出会いの時間しかないとしても、空間を行ったり来たりしながら、NOTOの方々の気持ちに寄り添いたいと感じました。
<白鳥さんより>
仮設住宅で暮らしていらっしゃる方々に、タッピングタッチだけでなく、お届けするもの(食材や生活用品、メッセージカード)を準備させていただく活動に参加させていただけたことが、とてもありがたく、感慨深かったです。全国から想いを寄せている方がたくさんいること、そのお気持ちをお繋ぎしていくお役目をいただけたことに感謝しています。
一軒一軒、仮設住宅のお住まいを訪問しながら、タッピングタッチのことをお伝えすると、「中に入ってね。」と言っていただけることが多く、ありがたくお部屋に通していただき、日々の暮らしに触れさせていただきながらタッピングタッチをする機会に恵まれました。「心地よい音楽もかけていいでしょうか?」とお尋ねすると、みなさん「ぜひお願いします」と言ってくださり、やさしい響きを感じながら、わたしもタッピングタッチすることができました。
(訪問させていただく時期や関係性にもよるのだと思いますが)当時の体験よりも、いま、感じていらっしゃる不安を言葉にされる方が多く、ご自身のこと、ご家族のこと、日々の暮らしの様子を次々と止まらないくらいお話してくださる様子が印象的でした。途中で次のお宅に移動することをお伝えすることがためらわれるくらい、たくさんことをお伝えいただけて、もっとお話しうかがいたかったなと思いました。
「タッピングタッチ、終わっていきますね」と、背中に両手を添えて共に在ることを感じながらお伝えすると、皆様「ありがとう。ありがとう。」と何度も何度もおっしゃってくださいました。いただいたお気持ちがあたたかくて、そのようなお言葉をいただくのが申し訳ない感じもしてしまいました。笑顔で玄関先でお見送りまでしていただき、「また来させてください」と言っている自分がいました。
初めてお会いするインストラクターさんとの出会いもうれしかったです。車で移動しながら日々の活動や感じていることをやさしくシェアし合えた時間がとても幸せでした。そして、一緒に仮設住宅内にあるあたたかな雰囲気の食堂で美味しいラーメンをみんなで食べたことも、じーんと心に残る体験でした。 仲間との繋がりと支え合いそのものがタッピングタッチだということをあらためて感謝と共に感じました。言葉にすることができないほど、感慨深い体験でした。
<渡邉さんより>
昨年夏に能登町の「グループホームなかよし」でのボランティアに参加させていただいて以来、今回は輪島市門前町(能登半島では前回は東側、今回は西側の海に近い地)道下の仮設住宅におけるボランティア活動に参加させていただきました。 「グループホームなかよし」での活動支援のブログは=>こちら
昔、観光で訪れた海岸沿いの道路を車で向かう時は海がとてもきれいで、何も変わっていないかのようにも思えます。しかし、目的の仮設住宅に到着すると、約 300 世帯にまだ 9 割が住まわれているという現状に重く、悲しい気持ちになりました(その気持ちは後に変わっていくのですが)。
仮設の中にある集会所には多くの支援物資が山済みで、能登福祉救援ボランティアネットワークの皆さんとともに「おすそわけ」の品々の準備作業をご一緒し、とても大変な作業だと実感しながら、しかし私には初めての体験で、集まった「まごころ」をお届けできることが、だんだん嬉しく思えてきました。
午後になり、それぞれグループに分かれて、私たちインストラクター5名もバラバラになり(また今回も少し不安な私でした)各戸を訪問しました。ボランティアネットワークの「おすそわけ」をお渡しするお声がけが、とても優しく思いやりに満ちていることに感動しつつ、その中で私をご紹介くださって、まずはご挨拶。鈴木さんが用意してくださった簡易椅子を片手に、タッピングタッチのパンフレットをお渡ししながら、中にある手順の図を示し「心とお体がほっこりするケアなのですが、いかがでしょうか」とお声がけしました。
「おすそわけ」配布のお手伝いもしつつ、5人の方が受け入れてくださいました(他の4人の半分くらい!?実は終わってから、ずっと凹んでおりました…)。
50代くらいから 90 歳の女性の方たち。お二人は玄関口で、他の方は「中へどうぞ」と快くお部屋に招き入れてくださいました。 こんな見ず知らずの私をやさしくあたたかく迎え入れてくださることが、最初はなんだか不思議でした。あとで思ったのは、お人柄、土地柄もあるのかもしれませんが、これまでボランティアなどでここに訪れた多くの皆さんが心を込めた支援をずっと続けてこられた結果、住民の皆さんの中に信じる気持ちがあるからなのだろうと想像しました。 
タッピングタッチの間、仮設での生活のこと、お体のこと、ご家族のこと、今のお気持ちなど、背中越しにいろいろ話してくださり「暖かくなったよ、ありがとう」と言って下さるお気持ちが大変ありがたく、これまでの体験や思いが垣間見えて、でもそれは想像しきれなく、それが申し訳なくて、今も思い出すと涙が出ます。自分ではなにもできないのに、これで終わりではいけないような気持ちになってしまいました。「こんなこと(タッピングタッチ)をやる人たちが来たよね」と、体験された皆さんの心に残ってくれたなら嬉しいです。
この地で頑張っていらっしゃるスタッフの方たち、ボランティアメンバーの皆さんにも、タッピングタッチを体験していただきたかったのですが、時間がなく、それが心残りです。でも何よりも 後藤さん、鈴木さんのご尽力で、このような貴重な経験をさせていただいたことに感謝しかありません。今回出会えたすべての皆さん、本当にありがとうございました。
“能登でふんばる!” 能登が、輪島が好きで、今を大切に生活されている皆さんに またお会いできる日が来ることを願っています。
<松岡さんより>
まずは風邪をひかずに当日を迎えられ、自分としての第一関門、肩の荷がおりました。金沢に集合するなり、初対面のメンバーとも「5人揃えたこと!」を喜び合い、勇気100倍のチーム力をいただきました。
現地での、前半は、支援物資の仕分けに加わらせて頂き、手応えのある実労を有難く思いました。
後半、タッピングタッチの訪問については正直、不安がありました。果たして突然、仮設住宅を個別訪問し受け入れて頂けるのか? たぶん充分な説明の時間もとれないまま…。不審者かもです。そんな中、「フレキシブルな対応でいきましょう」という鈴木さんの言葉と、地元ボランティアコーディネーターの方の差し入れ、声かけの後押しでお伺いし始めると、何と!ほとんど空き時間もなくタッピングタッチのオファーを受け続けることになりました。
タッピングタッチの最中に、お向かいさんが様子を見に入ってこられ「うちへも来て」とセルフオファーも成立し「これから、し合いっこしよう」とお二人が盛り上がり。ご夫婦で体験下さったお宅は、「明日からお父さんにしてもらおう“象の鼻”!」と、お母さんが腰をさすれば、お父さんも満面の笑顔。
皆さんが言われたのは「楽になった」「気持ちいい、何で?」「フシギフシギな感じ~すごい」等など。そして一番多くの言葉を頂いたのは、終わりのご挨拶で背中に両掌を置いた時『あったかい』と。寒さで、私の手を冷たく感じないかの心配も杞憂に終わりました。
そして今回は、個別対応だった分、短時間ながら~皆さま自然と色々なお話をされ傾聴させて頂く機会にもなりました。地震時の話、身体の調子、住宅環境、食べ物の変化、以前の能登の話 等など。でもそれが怒りや苦情といった強い投げかけのものでなく、ただ淡々と語られていて逆に「強さ」みたいなものを感じました。高齢でお一人での入居の方が多かったですが、皆さま凛とされていて頭が下がります。別れ際、きんつばや、柿を私のポケットに入れて下さった方々。寒空に、ジャンパーのポケットがぷっくりとふくれました。 大した事は何も出来ていなくて、「ぬくもり」を届けに行ったはずが、こちらこそ沢山の「ぬくもり」にまみれて戻って参りました。能登の海の大きなオレンジの夕陽が忘れられません。こうした貴重な機会を頂き、関係各位の皆さまに心から感謝申し上げます。
=さいごに…=
訪問して『おすそわけ』の品をお渡ししながら、タッピングタッチもさせていただく。
でも、ケアさせていただくのには時間がかかるし、その辺はどうしたらうまくいくかな…と心配していましたが、ボランティアネットワークの皆さんのご協力もあり、声を掛け合って、2時間半ほどで40名もの方に体験していただけたのは予想以上のことでした。午前中はパラついていた雨も止み、天候にも恵まれました。
お宅に伺って、どんな風にタッピングタッチのお誘いをするか。
皆さん、いろいろ考えてきてくださったのだと思います。私は「ちょっと疲れがとれる、簡単なケア、今すぐ、ここでできます!」というパターンが一番よかったような(笑)。
ケアしている間はいろいろなお話を聴きました。「もう頑張るのはやめた。あきらめた」「何もすることがないから、ずっと寝てるんだよ」「当たり前が当たり前じゃないって、今、本当に思う」…。つらい言葉をうかがった時も、タッチし終わった後「わぁ、手が温かくなったよ」「背中がほかほかする」と明るい声で話され、私の目をじっと見て、優しい表情をしてくださる、その姿が目に焼き付いています。
訪問した翌日、青森県東方沖で大きな地震がありました。大地の大きな変化に私たちはなすすべがありませんが、起こった後もそこで力強く生きていくための何か。疲れた体と心を癒すための小さなお手伝いが、タッピングタッチというケアを通じて、これからもしていければ、と思います。
(神戸・鈴木貴子 認定インストラクター)

3月から5回にわたり、能登半島のグループホームや避難所、障がいを持つ方の就労支援事業所や特別養護老人ホーム、お風呂屋さんでの大学主催のイベントなど多岐にわたる場所でインストラクターがタッピングタッチによる支援をしてきました。被災地支援ー>
子どもたちも不安を抱えています。ニュースや大人の反応に敏感です。
発災初日から、同系列の障害者施設の多目的ホールに避難されていました。新築の施設がこの度完成し、前週にお引っ越しされたところでしたので、コーディネーターの後藤さんから「何かサプライズでお祝いできれば!」と声をかけていただき、バルーンアートで花束をプレゼントすることに。また、ご入居者のお部屋に「彩りを添えられたら」とお一人ずつに小さなお花のバルーンを作りました。
今回、訪問させていただきました所は、被災で仮住まい、そして新居に引っ越しされたところでした。
ことです。この7ヵ月間、ご自身のこともあるだろうに入居者のため奮闘され、心身ともに疲労困憊の状態だったとお察しする皆さんに、タッピングタッチの温かさを身体中に感じてもらったことです。 「あっさりした~(すっきりした~・かるくなった~の意)」「なにこれ~不思議~!身体の痛みが和らいだ~楽になった~」「ずっと触っていて欲しい~」と口々に 言っていただき笑顔が絶えませんでした。
私の住む長野県と石川県は、北信越5県に含まれていて、2015年には北陸新幹線でつながったこともあり、距離は遠くても近しい気持ちがありました。
最後に98歳の女性の方からは震災当初のお話をお聴きしました。
入居者の皆さんはケアの前に「すまないね~、ありがとう」と深々と頭を下げられました。最初の方はタッピングタッチの最中「ここの施設はいいよ。施設も新しいし職員も優しい」と穏やかな表情で話されました。終わった後は「気持ちよかったよ、あっさりした〜(方言でさっぱりしたの意)」と改めてお礼を言われました。次の方は「うちの子どもは優しい、孫も優しい。だけど最近は会えてなくて寂しい」と少々つらそうな表情をされました。終わった後は「もう終わり?気持ちよかった」と笑顔で返して下さいました。次の方は「気持ちいい、こんなの初めての経験だ。どこで習った?私にも教えてほしい。できるかな?」と、他の方にもして差し上げたいのか、習得にも前向きなコメントをいただきました。別の方は「気持ちいい、明日も来てやってくれるんだよね?」と言われ、今日だけの訪問だと話すと「そうか、しょうがないな。ありがとう」と残念そうな表情をされました。
職員の方は「体が温かくなってきました、気持ちいいです。今までの疲れや、先週の引っ越しで疲れが溜まっていて…」と、被災後余儀なくされた施設移動、移動後の施設のやり繰り、先週の引っ越しから今日までのご苦労を短い言葉で表現された様に思いました。終わると「気持ちいいけど、今は仕事中なのでゆっくりした気分から抜けないと」と、弛緩モードから仕事モードに決意を振り絞って切り替えられていました。
今回の訪問では、スタッフさんたちにもゆっくりとタッピングタッチをうける体験をしてもらうことができました。トントンしながら、地震発生から約7ヶ月間、他の施設のホールを借りての、ご入居者との避難生活やケアの大変さ、ご自身の自宅の被災のことなど、お話をうかがいました。心身ともギリギリの状態がつづいていたのだろうと感じ、労う言葉をさがしながらタッピングタッチさせていただき「あっさりした~(能登の方言でスッキリしたという意味)」といってもらえたときは、ほっとしました。
私の実家の父(95歳)が、最近、高齢者施設に入所したばかりなので、利用者家族の立場も重なって、みなさんが、被災の困難を乗り越えて、今元気でいらっしゃることが本当にありがたい気持ちでいっぱいでした。
また、どの施設の管理者さんや職員さんも、能登福祉救援ボランティアネットワークのコーディネーターさんをとても信頼されてお話しされている様子を見て、現場の状況やニーズをよく聞いて、見て、関係性をつくりながらサポートすることや、継続して支援できるネットワークの存在の大切さを学びました。そのベースの支援活動や信頼関係のうえで、私たちのタッピングタッチも効果的にさせていただけたのだなと思い感謝しています。
3月、5月、6月、7月、8月と5回にわたり、能登半島地震の被災地にお伺いしてタッピングタッチのケアをお届けしてきました。毎回違う場所で、違う対象の方々にケアをしました。
「ぜひ参加したい」とご連絡いただいたにもかかわらず、日程等があわず、ご参加いただけなかった方も多くおられました。


こすもすさんは、ご入居者88名(特例入所者8名含む)と約30名のショートステイのご利用者が4フロアに分かれて生活されていました。

その後各フロアに伺い、4名の方にさせていただきました。感想が「あっさりしていいね」と言われ、タッチが弱すぎるのかと心配したら「スッキリする」「ほっとする」という意味だということを職員さんに教えていただきました。能登方言だそうで新鮮でした。
訪問先の「やなぎだハウス」では手話が出来ないと…と思いYouTubeを見て練習しましたが、覚えられずにいました。
「特養こすもす」では実母が特養に入所していましたので、雰囲気は分かっていました。
「やなぎだハウス」のみなさんは明るい大家族のような、なごやかな雰囲気で、互いに笑顔で楽しそうにタッピングタッチに参加してくださいました。被災され、半年以上も大変な避難生活を過ごされてきているなかで、ここは仲間と一緒に作業したり、気持ちを分かち合ったりできる場で、また戻ってこられた安心感がある、生活面でも心理面でも支えになる「よりどころ」なのだろうなと感じました。所長さん、支援員さん、県の聴覚障害者協会の平時からの活動と、地震発生後には安否確認したり、孤立しないように同じ避難所に集めたり、早期に「やなぎだハウス」の復旧にご尽力されたことなどを知って感銘をうけました。
「こすもす」の職員さんへの講座では、みなさんすぐに、とても上手にタッピングタッチされていて、さすがでした!職員さん自身も被災され、先日ようやく仮設住宅に入れたばかりという話や、離職しなければならなかった方も多かったため、まだ人員不足が続いていて、疲弊から、みんなイライラしていた時期もあったという話もうかがいました。
どちらの事業所も職員さんの心身の健康あってこそ、なので今回お伝えしたタッピングタッチをみなさんたち自身でケアやコミュニケーションにぜひ役立ててほしいなと思います。そして私自身も、被災地支援でタッピングタッチがどんな風に活用できるのか、効果があるのか、そのポテンシャルに期待しているところです。
このイベントは、佛教大学の学生さんや卒業生、教職員の方々が中心となって、金沢市や奥能登地方にあるパン屋さんから美味しいパンを届けたり、たこ焼きを提供したり、子どもさん向けの工作教室などを企画されたものです。
今回活動したのは、東京の柏崎咲江さん、福岡の清水幸織さん、岡山の中谷優子さん、大分の山下誠二さん、そして神戸の鈴木の5名。朝いちばんに金沢駅に集合し、佛教大学の皆さんのジャンボタクシーに先導してもらい、レンタカーで現地に入りました。山下さん、清水さん、運転ありがとうございました!
金沢駅から珠洲市へ向かう道が、復興までまだ時間がかかるであろう様子を見たり、途中の家の倒壊や、見た目はまだ大丈夫そうな家でも赤や黄色の貼り紙で立ち入り禁止になっていたりする様子や、タッピングタッチ後に、案内してくださった地域の被害の大きさを目の当たりにして、胸が苦しくなりました。
それでも今回のイベントで、楽しそうに近所の方々とお話しされていたり、嬉しそうにたこ焼きの列に並んでいる方々を見ていて、人間に必要な共存(共に、いる)の力をとても感じました。
3時間という短い時間でしたが、「地震の後から身体中が緊張して、強張って夜も眠れないのよ…」と、話していた女性が「意識が遠くにいってたわぁ」「リラックス出来て気持ち良かったぁ」と言って下さった時には、来て良かったな…と、嬉しく感じました。と同時に、5ヶ月以上の間、本当に心身ともに辛い思いを抱えていたんだなぁ…と、胸がギュッとなる思いでした。
学生さん達が、レジンをつかったワークショップを子どもたち向けに開いていました。紫外線に当てると硬化するレジンが不思議だったのか、両手を太陽にかざして、まだかなまだかなと、ワクワクしている子どもたちの笑顔がキラキラ✨と輝いていて、見ていて幸せな気持ちになりました。そばで見守る親御さんもニコニコ笑顔😃 子どもたちの目線に合わせるように身を屈めながら、暑い中ずっとワークショップを開いていた学生さん達も、とびっきりの眩しい笑顔。とってもとっても素敵な空間で、私が癒され、元気を貰った能登でのひとときでした。
印象的だったのは、みなさんがとても自然に支援を受け入れているように見えたことです。もちろん、最初からそうだったわけではないかもしれません。お一人お一人の心の内もわかりません。私の勝手な思い込みかもしれません。ただ、能登のみなさんは普段からお互いに「助けたり助けられたり」で生活されてきたのではないかと思いました。助けが必要な時は受ける、自分が助けられる時には助ける。「能登はやさしや土までも」とはそういうことなのかもしれない、と感じました。
私は8~10人ほどケアした。避難所生活を余儀なくされている人、自宅で生活はできているが外に出なくなった人等、仕事を失って途方に暮れている人、様々な被災者がいたが夜は眠れない日が多く疲れが溜まっているとことだった。「私だけが大変なんじゃない、みんな大変。もっと大変な人もいるからね・・・」と話してくれる。タッピングタッチ後は「ありがとう、気持ちよかった。手温かいんだね」と感想を残してくれた。私が想像していたより、みなさん総じて明るい印象を受けた。
小さな子どもさんを連れた女性にタッチさせてもらった後、「やり方を教えてください。子どもにやってあげたい。2階に上がるのを怖がるんです」とおっしゃっていました。
タッチしている間、珠洲の被害の状況を詳しく教えてくださった方から「市で一番大きなスーパーに津波が来たんだよ」と聞き、帰り道にその前を通りました。大きな建物の外枠だけが残っていました。珠洲市の、この被害の大きさはどのくらい報道されたんだろう。私が観ていなかっただけなのか…。